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代表 手島 プロフィール
手島 正陽
シンカ株式会社 代表取締役

小規模のシステム開発会社に勤務していた2007年4月〜2011年10月の4年半、「時短勤務」として3歳長女・0歳次女の2人の娘の保育園送り迎えと家事一切を経験。(妻はプロジェクトが忙しい時期は毎日終電で帰宅) ワーキングマザーの大変さをまざまざと知りました。

そしてまた、2015年4月からフルタイムで働きながら夕方の家事も全部行う…生活に再挑戦中。学童保育も卒所した娘2人と日々奮闘中です。

この経験から、「子育てはもっと便利にできるはず」 「子育て本来の"楽しさ””充実感”が得られないのは残念すぎる」 という思いで、シンカとして独立した後は、『働きながら子育てすることを頑張っている人の役に立ちたい』という思いで日々サービス化を模索中。

シンカという会社名には「親になる=親化」の当て字も期待しています。 子育ては、親自身が学び、育っていく過程だと思っています。 私自身が子どもたち、子どもたちと接した時間から教わったことを世の中に還元できれば嬉しいです。

ちなみに、世間で言われるのは「ワーク・ライフバランス」ですが 私たちは「ライフワークバランス」と呼びます。 これについては下記Blogエントリ参照のこと。
http://blog.synca-corp.co.jp/lifeworkbalance/life-work-balance/

1月 8th, 2015

2003年の当時のホカツ

こんにちは。

シンカ代表の手島です。

昨日取り上げた待機児童の問題について我が家の保活を思い返しました。

※昨日のエントリ
認可保育園のわが家の待機順番は「400番台」

2003年6月生まれの長女を2004年の4月にゼロ歳児クラスに入園させて妻が職場復帰を目指しました。

当時は保活なんていう言葉もない時代。保育園の入園の判断は”得点制”なんだということは何となく理解していましたが、どこかには入れるだろうとまったく不安に思っていなかった印象です。(妻に怒られてしまうかもしれませんが)

いまでは考えられないですが、そのころの情報収集はほとんど妻任せでした。当時、自宅が駅から200mくらいのところにあったので、どこの保育園に預けるにも「駅から遠ざかる」状況でした。

第一希望は一番近い保育園。300-400m程度離れた公設公営の保育園。
第二希望はその次の距離、1kmくらい離れた民設民営の認可保育園。

ゼロ歳児ですから、定員は6人とか8人だったはずです。「少ない!」と思った記憶があります。

提出する書類には第六希望まで欄があったはずですが、第二希望までしか書かずに提出しました。
「それ以外は通えませんアピール」だとして…

夫婦共に実家は都内にはなく、妻の実家は愛知県です。”得点”は低くなかろうということでかなり強気の申請です。
いまでは考えられないと思います。

遠い昔話。もしくは何かの作り話のようなことです。とても楽観的な対応で、そして幸運な結果に恵まれました。

結果は、第二希望の保育園に決まり、長女、その後の次女と合わせて9年間お世話になりました。

今思えば、滑り止めではないですが、他にセフティネットを設けずによく「ホカツ」したなと思います。
第一希望の園よりも更に近くの、まさに家の目の前のビルに認可外(認証)の託児サービスができたころで、一度体験に行ってみたことはありましたが、心の中に、ビルの一室の託児所よりも自前の敷地に園庭があったり遊具があったりする昔ながらの保育園がいいなと思って手続きはまったく考えませんでした。

そんな10年ちょっと前の出来事がまさに隔世の感があります。

昨日のエントリで取り上げましたが、せっかく子どもと過ごすための休職期間の時間を、子どもとのことに集中できずに、「どこに預けられるか」ばかりに気を取られてしまうのはとても残念に思います。預けたあとはそれはそれで怒濤の日々が待っているのですから。

現在の地元の実態がどうなのかを知らないのですが、長女が産まれてからの10年で考えただけでも
子育て、保育園にまつわる状況はかなり変わりました。
これだけの変化があったのに社会の制度、仕組み、システムはあまり変わってないと思わざるを得ません。

行政がガラっと変わることは期待できない中、民間で力になれることも限られますが、
シンカも少しでも役に立てるようにと考えていきます。

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