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代表 手島 プロフィール
手島 正陽
シンカ株式会社 代表取締役

小規模のシステム開発会社に勤務していた2007年4月〜2011年10月の4年半、「時短勤務」として3歳長女・0歳次女の2人の娘の保育園送り迎えと家事一切を経験。(妻はプロジェクトが忙しい時期は毎日終電で帰宅) ワーキングマザーの大変さをまざまざと知りました。

そしてまた、2015年4月からフルタイムで働きながら夕方の家事も全部行う…生活に再挑戦中。学童保育も卒所した娘2人と日々奮闘中です。

この経験から、「子育てはもっと便利にできるはず」 「子育て本来の"楽しさ””充実感”が得られないのは残念すぎる」 という思いで、シンカとして独立した後は、『働きながら子育てすることを頑張っている人の役に立ちたい』という思いで日々サービス化を模索中。

シンカという会社名には「親になる=親化」の当て字も期待しています。 子育ては、親自身が学び、育っていく過程だと思っています。 私自身が子どもたち、子どもたちと接した時間から教わったことを世の中に還元できれば嬉しいです。

ちなみに、世間で言われるのは「ワーク・ライフバランス」ですが 私たちは「ライフワークバランス」と呼びます。 これについては下記Blogエントリ参照のこと。
http://blog.synca-corp.co.jp/lifeworkbalance/life-work-balance/

7月 14th, 2015

孤高の人になる勇気

こんにちは。シンカ代表の手島です。

昨日取り上げた“デュアラー”の中学受験に関する記事の続編です。

2015.06.29
藤原和博 「私立に行けばいい教育が」という誤解
【特集/中学受験をしないという選択(2)】仕事で毎日戦うデュアラーはわざわざ中学受験競争に巻き込まれなくていい

学業、知能を高めるという点では藤原さんのこの意見には賛成です。

ここでいう「私立」とは、灘校みたいないわゆる本当のトップ校を除いた偏差値65くらいまでの学校のことですよ。
筑波大附属駒場、雙葉、女子学院なんかも高いレベルの教育を実践して、ユニークな人材を輩出していますね。こういった本当のトップ校に入るための受験なら挑む価値があると僕は思います。

明確な意義や目的もないままに中学受験に突入するのはあまりおすすめできません。なぜこれほど中学受験がブームかというと、親にとってわが子の中学受験というのは究極に「楽しい」からです。

 合格というゴールに向かって、かわいいわが子と二人三脚をする壮大なプロジェクト。特に専業主婦の場合には、自分の人生の成果を測る指標を実感しづらいために、親としてのレベルを確かめるかのようにのめり込んでしまう傾向が強いですね。

子のためを思ってやっていることは実は自分を認めたいがためにしていることになってしまっていやしないでしょうか。

さらに言えば、自分やパートナーの学歴やキャリアにコンプレックスがある場合には、それをわが子によって埋めようと“リベンジ受験”をしようと過剰な情熱を注いでしまう。こうなると、子どもは不幸です。不合格となったら「親の期待に応えられなかった」と自己否定するようになり、合格したらしたで「親の期待に応えられた」という経験が成功体験として刷り込まれ、社会人になっても親の期待に応え続けようとする連鎖が始まる。親子の過剰な密着や共依存関係の始まりです。

この言葉には驚きました。合格しても不合格でもどちらも不幸な道筋が書いてありました。受験そのものを目標としてしまってはダメなことがよくわかります。

学歴・受験という言葉を、習い事やスポーツ選手を目指す親子に当てはめても同じことが言えそうだと思いました。

共働きのDUAL読者ならば、親自身が評価を受ける軸は「仕事」で既にあるわけですよね。であれば、中学受験の結果によって親としてのレベルをはかる競争に、わざわざ巻き込まれるようなことはしないでいいんじゃないですか。仕事で毎日戦っているんだから、これ以上、戦う場所を増やしたたら戦線拡大、疲弊するだけでしょう。

まったくもってその通りです。疲弊するくらいならやらなくて良いです。

―― ただ、都心部では(一部のエリアですが)周りが過熱する中で「うちは受験しません!」と言い切るのはかなり勇気がいることでもあります。「どうして?」と質問攻めに遭うくらいならいいのですが、「受験もさせてもらえないなんて、かわいそうな子だね」なんて思われるのではないかという不安が…。

藤原 わかりますよ。一部のエリアで中学受験をしないと決めるには「孤高の人」になる、という勇気が親にも子にも必要ですね。それは簡単なことではないと思います。

「孤高の人」を貫くことは、これからの時代の稼ぐ力の本質につながる「ユニークネス(希少性)」とも一致するということ。「みんながやるから私もやる」では、世界で勝負できる人材には育たない。時代が求める力を俯瞰(ふかん)して考えてみれば、親にとっても納得できる選択をするヒントが見つかると思いますよ。

親自身の価値観、子どもと目指す成長の姿があって、その手段が受験だということだったら悪くはないですが、まず受験ありきではないということを肝に銘じたいです。

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