11月 12th, 2016
国が理想像を示すのは苦しい
こんにちは。シンカ代表の手島です。
昨日アップできなかったのでまた変則の週末エントリにて失礼します。
今朝の日経の女性面のコラムにこういうものがありました。
女・男 ギャップを斬る
強制される理想的家族 出産・子育ての意欲そぐ
詩人・社会学者 水無田気流
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紹介されている本も読んでみたくなりました。今度図書館で借りて読んでみます。
それにしても
育児に限らず、順応するための要求水準が高すぎる社会では、反対派は極端な言動をとらざるを得ず、中庸と寛容性が失われてしまう。結果、締め出されるのは中間的志向性を持つ「普通の市民」である。
こういう物の言い方ができるって羨ましいです。
文章を書くことを生業にしている方にこんな私が言ってしまっては帰って失礼なのですが。
私も関連の話題に触れるたびに気味の悪さを感じているのですが、同じように感じる人がいることで少し安心しました。
自民党の改憲草案や家庭教育支援法案に触れたとき、私はこれらのSF作品を想起した。共通するのは、国民の結婚や家族生活に国家が介入することのグロテスクさである。
家庭教育の理想像をさらに高める発想は女性たちの出産意欲を押し下げ、少子化を加速しかねない。普通の市民が無理なく子どもを産み育てていくために必要な政策は、少なくともこれ以上育児負担を課し、心理的にも時間的にも保護者を追い詰めることではないはずである。