12月, 2016
結局骨抜きで
こんにちは。シンカ代表の手島です。
来年の税制が決まったとのことで日経新聞も紙面の多くを割いていました。今日はその紹介、引用ばかりになってしまいますが、みなさんはどうお考えでしょうか。
所得税、抜本改革先送り 与党大綱決定
働き方税制は半歩前進
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だそうです。以下に関連記事を。
働き方税制 かすむ理念
実態即した改革急務
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消えぬ壁、稼ぐ意欲そぐ
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かたや首相はと言えば
首相「働き方、法案急ぐ」 エコノミスト懇親会 日銀総裁「物価2%へ着実な歩み」
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上限を国が決めて縛るそうです。個々人と会社の状況によりで良いと思うのですが。民間に任せる領域かと。
それよりも、税制とか特に子育てに関する社会保障をもっと整備して、がんばって働くこと、そして家族を持ち育児をすることに希望を見いだせる社会にしてほしいものです。
小さいころからの調理体験
こんにちは。シンカ代表の手島です。
昨日の日経新聞の夕刊から。小さい子どもに料理を作らせてもいいか?という話題。
調理体験 幼少から、段取りを付ける能力アップ
試行錯誤し疑問解決/失敗しても褒めて
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おっしゃることはその通り!なのですが、 「だからやらなきゃ!」ではないですよね。
お手伝いできる時に一緒に。子どもが自分でやってみたいと思ったとき。 でよいのではないでしょうか。
私は仕事を終えて帰宅して、夕食作りのバタバタの中で次女によく手伝ってもらいます。
「このレシピ見て、調味料を合わせておいて」みたいなことですね。
“1.5倍で!”とか“書いてあるのは2人前だけど、4人分で作るからね”みたいな話しをすれば、それはそれで即席”算数”実習ですからね。
お手伝いをしてもらいながら、コミュニケーションもできて、ちょっとした頭の体操にもなっていいことばかりだなと思いながらやってます。次女はいつも「なんでお姉ちゃんじゃなく私が手伝わなけいけないの?」って不満たらたらですけど。
配偶者控除の改正(?)のニュース
こんにちは。シンカ代表の手島です。
配偶者控除の改正についての案がまとまったようで、日経新聞にも記事がありました。
配偶者控除、夫・妻の年収に応じ差 9段階で縮小[有料会員限定]
本当に必要なことだったら痛みを伴っても実行したいものなのですがこうやって「骨抜き」になるということばかり。
本当にそう思ってますか?
1120万円以上の年収がある家の人が働けってことですよね。
せっかく年収があるのだから余暇なり自分の事に使っていいのに。
お金がある人に働け!といっているのが今回の変更。おかしくないですか。
政府の税収という面でいうならば、お金のある人はない人よりはリッチな生活をするわけで、よっぽど消費税のほうが「公平」だと思うのが学生時代、20年前からの私の意見です。
今回の改正でどれだけの効果があるのか。労働力の増加と税収のアップが。
きちんと具体的な数字で効果測定してもらいたいものです。
このblogの主題の領域で考えるならば、こんなことに議論する時間と人のコストがあるのなら、昨日のエントリでも自治体の苦労というか悩みのことを取り上げましたが保育園を設置できない地域、反対運動が起きている地域に行って、説得だったり代替案だったりを実施することにコストを投下したがよっぽどこの国の将来のためには有効なんじゃないかと思ってしまいます。
自治体が保育所を増やせない理由
こんにちは。シンカ代表の手島です。
日経新聞の12/5朝刊の首都圏面にこんな見出しの記事がありました。
保育施設、どこまで増やす 自治体の子育て支援
本社など調査 少子化と就労希望増、需要予測難しく
2016/12/5付日本経済新聞 朝刊
「女性が輝く」や「労働力不足」などとうたって、預けてでも働け!という流れではないのですか?女性人口が少なくなったって、安心して預けて働けるの環境があれば出生数が激減ということはないと思っています。
今よりも良い環境を整えて、母数が減っても出生数が減らない工夫をするべきなはずなのですが。未来へ向けた投資と思って対応してもらえないものでしょうか。
もうこの国を縮小させることにしかならない施策だと諦め感ばかりが強くなります。
個人的な意見ですが、
- 基本的には100%保育(=保育園の義務化)
例えば1歳を過ぎた次の月から入れます。のように。逆に「預けない人は申告してください」とする。 - 妊娠期(出産、育児をする前提)からきちんと産婦人科にかかることも義務化する。
そうすると、いつ子供が生まれるか、何年何月ころから保育園に入るという情報が把握できる。
(もちろん生まれることは絶対計画通りということではないですし、引っ越し等の事情もあるわけですが) - 自治体、日本全体でどのくらいの保育需要があるかを1年前には把握できることになる。
その情報をもとに設備・スタッフの拡縮および近隣自治体間のやりくりも横断的に実施
のような感じにならないのかなと思っています。各論は省きますが、おおよそこんな風にと。
■昨秋の関連エントリ
小学生新聞に思う長時間労働の防止は国がすることなのかと
こんにちは。シンカ代表の手島です。
今朝の朝日小学生新聞が「電通」と会社も前面に出した長時間労働問題を取り上げていました。
「法律を無視して」のような書き方です。
子どもたちには法律を破って働かせた悪い会社…という感じに受け取ってしまいそうですね。
社会全体で対策を考えることが求められている。
なぜ、会社員が頑張って仕事しちゃうのか。
長時間を美徳とする風潮だったり、長くいるともらえる残業代だったりそれらを踏まえて「生産性が低い」日本だったり、生産性を高める・効率を高める取り組みが必要だということももっと言わなきゃならないのに。
個人的には
『「みんなのお父さんも遅くないかな?」「早く帰ってきて。いろんなお話ししたいし、僕の(私の)相談にも乗ってよ」って言ってみよう。早く帰ってきてもらって、夕方の団欒・家族コミュニケーションの時間を作ろう』
っていう風に啓蒙活動的に書けばいいのにと思いました。
でも、小学生のある程度の学年になると、もう父子の関係は破たんしかけていて「なんで家にいるんだよ」「(お互い)相手のことがよくわからない」状態になってしまってるのかもしれませんね。
そっちのほうが「根が深い」「社会の問題」だと思うのは私だけでしょうか。
片や経済力をあげたいと言うのなら、企業を縛るのではなく、家庭の自分の時間を大事にするようにして「早く終わらせて早く帰る」風土づくりの方がとっても大事だと思っています。
「中1ギャップ」いじめのことだけではなく
こんにちは。シンカ代表の手島です。
昨日のエントリで中1ギャップのことを取り上げましたが、国の機関からこんな情報が発信されていました。
少し前の情報のようですが。
文部科学省
国立教育政策研究所 National Institute for Educational Policy Research
「中 1 ギャップ」 の真実(PDFファイルにリンクします)
中1ギャップを「いじめ」「不登校」「勉強についていけない」というようなことにフォーカスして”自己弁護”しているような印象をうけました。
人によって、立場によってそれぞれ意味づけをしていいものではありますが
この発信資料は特に「中学の段階から急にいじめがひどくなるわけではない」ということに論点が絞られているようです。
確かにいじめというだけでは中1と言い切るには難しいのかもしれません。
ですが自己弁護?となってしまいかねない印象でした。
あとは、学校現場のことですから、全部教師に責任が役割を負わせてないかとも心配になってしまいましたが。
昨日のエントリと私が意識したい「中1ギャップ」は、どちらかというと生活の変化、ライフステージがあがることによる心身のギャップ、家族の、親子の付き合い方の変化ということだと思っています。
「中1ギャップ」
こんにちは。シンカ代表の手島です。
日経DUALにあった「中1ギャップ」に関する話題の紹介です。我が家の長女が中1だからでしょうか。目に留まりました。
ようやく「壁」がなくなったと思ったら今度は”ギャップ”ですか。
自分の生活で喫緊で考えてしまうとどうしても「小1の壁」だったり、未就学児・保育園に関する話題などはそこまで興味をもてなくなってしまってますね。
私が気に留めた箇所を引用しておきます。それぞれ思うところは後続に分けてエントリします。
いじめや不登校 「中1ギャップ」に親はどう向き合う
「独り立ちした」と安心して、子どもの変化を見逃さないで
—— 親の接し方の変化も関係しているのですか。
渡辺 幼児や小学校低学年のうちは、親が意識せずとも、子どもが「見て、見て」と言ってくるし、親がやらなければならないこともあるので、注意を向けざるを得ないですよね。ところが、子どもが大きくなるにつれて、お父さんとお母さんは、「ちょっと一人でできるようになったから、ようやく自分のしたいことや仕事にギアチェンジできる」と思って、放任しがちになります。一方、思春期くらいの子どもは大人に近づいて複雑なことを考え出すので、親に心配かけまいとして、あまり言わなくなる面もあります。だから、意識的に気にして見てあげないと、子どもの変化を見逃してしまいます。
中1ギャップ 親は子を見守りつつ、どーんと構えて
子どもの感情の豊かさは、親の感情のボキャブラリーに関連する
渡辺 例えば、単に「渋谷に行ってはダメ」と言うと子どもは反発しますよね。でも、「渋谷は面白い街で活気があっていいけれど、何丁目のあそこはけっこう事件があるから、あそこはやめたほうがいいよ」とか。子どものことを考えて、具体的にやれそうなことを織り交ぜながら言っておくと、拒否感がない。何かをやってしまってから、「なんでそんなことをしたんだ」などと言うと、絶対に反発します。ポイントは、親は何でも反対する生き物ではなく親身に心配している存在、ということを伝えることです。
— 今、小学校高学年の子を持っている親が、「あのときこうしていればよかった」と思った場合、今からでも子どもへの接し方を変えたら効果はありますか。
渡辺 もちろん今からでも間に合います。何歳になっても変わる子は変わります。どの年代の子どもも、基本的には、子どもの要求をよく見て、無視しないで「応答してやる」のが大事。それにつきます。応答せず適当にしていると、子どもは不満を持ちます。子どもは無意識の部分で、注意引き行動というのをしていて、基本的に、自分を見てほしいという気持ちがあるのです。だから、トラブルになってから注意を向けるのではなく、むしろ子どもがトラブルを起こしていないときに静かに何事もなく過ごせているときから、すごいね、いいね、と認めてあげるといいんです。
面白いことに「疲れた」「悲しい」といったネガティブな気持ちの言葉は割と皆さんたくさん持っていますが、「すがすがしい」といったいい気持ちのボキャブラリーはあまり持っていない人が少なくありません。右の図はイエール大学で作られた気持ちメーターというものですが、縦軸が感情の強さ、横軸が感情の心地よさです。もっともボキャブラリーが少ない傾向があるのは、心地よいけどエネルギーは低いグリーンゾーンの言葉です。「まったり」とか「ゆったり」とか、ストレスがない言葉です。例えば、子どもが思春期のころには、親は子ども部屋の戸を開けて子どもがベッドでお菓子を食べていたら、どんな言葉をかけますか? 「またサボって!」などと言いがち。「ゆったりしていて、楽しそうだね」と言える親はなかなかいませんよね。
今の大人は子ども達にグリーンゾーンを許していないことに気づきます。いつも「こうあってほしい」という要求ばかりで、そう期待されると子どもは疲れてしまいます。今、全体的に子ども達は疲れているなと感じます。もっと、子どもなりの、のんびり、ゆったりした気持ちや時間を保証してあげることも大事だと思いますよ。
いろいろ耳が痛すぎます。