スマホ・タブレットの利便性と子ども達への影響
こんにちは。シンカ代表の手島です。
昨日のスタッフKのエントリにスマホの話しがありましたが、彼女の締めの言葉にある『使い方のマスター』という意味では、“操作を覚える”ということではなく、利用場面やそれらを使った”今風の賢い活用方法”を覚えるということかと思いました。
とにかく常時PCがネットの世界につながっていることと同じであり、
それこそ一昔前の言葉ですがテレクラだったり、出会い系のサービス、はたまた様々なスリ、詐欺まがいの商売と直結している…
そういった装置を持っているという前提に立つということが大切です。
スマホやタブレットを“使い倒す”というのは『自分たちのライフスタイルにあった利用シーンで活用しよう』ということだと思っています。
ちょうどネットにある以下の記事を目にしていました。
Apple、iPhone、iPadの生みの親とも言えるスティーブジョブズに関連するこの記事です。
ジョブズ自身は子どもに使わせなかったということ
スクリーンタイム(画面を見つめる時間)よりも、フェイス・トゥ・フェイス(面と向かった)の家族の会話を優先
だそうです。
私も賛成です。
子どもが成長すれば自然に使い方は身に付くはずですし、そのときに親がアレコレ言わなくても自分で情報にたどり着けるのだと思います。
ちゃんと危険なことがわかり、その危険と言うのは一線を越えたときに自分自身で責任を追えるかどうかだと思っていますが、その一線を越えて良いかどうかの判断を自分で出来る年齢であれば自然に使えるものと思っています。
ということは親はその『行動とそれに伴う責任』を子どもに伝えなきゃいけないんだということなのでしょう。
一方で、スマホやタブレットを子どもに絶対に与えてはいけないとも思っていません。
例えば、テレビの替りとして見たい番組だけ見るということだったり、
教育という場面でしたら、分厚い教科書を持ち歩くよりもその中にダウンロードする、ネット越しに閲覧するということもよい利用方法ですし、オンデマンド的な動画で講師の話しを聴講するということができる…
などでも素晴らしい端末だと思っています。
ようは盲目的に、妄信的に使い倒すこととは違うのかなと思っています。
我が家の小学生の娘たちに、私のiPhoneのおさがりを渡して、
『ただ面白いだけじゃなくて、スマホは成人が責任を持って使うものだ。
なぜなら…こういう危険があるから…こうなったときにあなた自身で解決できないよね?』
ということを教えはじめようかなと思っているのですが…次世代のリテラシー教育を実践しようかと…まだ踏ん切りがついてません。