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代表 手島 プロフィール
手島 正陽
シンカ株式会社 代表取締役

小規模のシステム開発会社に勤務していた2007年4月〜2011年10月の4年半、「時短勤務」として3歳長女・0歳次女の2人の娘の保育園送り迎えと家事一切を経験。(妻はプロジェクトが忙しい時期は毎日終電で帰宅) ワーキングマザーの大変さをまざまざと知りました。

そしてまた、2015年4月からフルタイムで働きながら夕方の家事も全部行う…生活に再挑戦中。学童保育も卒所した娘2人と日々奮闘中です。

この経験から、「子育てはもっと便利にできるはず」 「子育て本来の"楽しさ””充実感”が得られないのは残念すぎる」 という思いで、シンカとして独立した後は、『働きながら子育てすることを頑張っている人の役に立ちたい』という思いで日々サービス化を模索中。

シンカという会社名には「親になる=親化」の当て字も期待しています。 子育ては、親自身が学び、育っていく過程だと思っています。 私自身が子どもたち、子どもたちと接した時間から教わったことを世の中に還元できれば嬉しいです。

ちなみに、世間で言われるのは「ワーク・ライフバランス」ですが 私たちは「ライフワークバランス」と呼びます。 これについては下記Blogエントリ参照のこと。
http://blog.synca-corp.co.jp/lifeworkbalance/life-work-balance/

育休が義理にならないように

こんにちは。シンカ代表の手島です。

日経ビジネス誌に定期的に掲載されているコラムでも育休問題が取り上げられていました。

時事ネタを面白おかしく“斬る”長寿企画のもので、私も「なるほどね」と思う事もあれば「こじつけだ」と思う事も多いコラムですが、ここに育休の話題が取り上げられるほどになったという感慨が大きいです。

小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明
育休は権利か義理チョコか?
2016年2月12日(金)

このコラムは毎回ボリュームが多く、途中で読み進むのを辞めてしまう事もあるくらいです。今日のエントリが引用ばかりになってしまいますがご容赦ください。

個人的には、国会議員の育休に関しては、賛成する意見にも反対する意見にも、それぞれ、もっともな論拠があると思っている。「一般企業の育休取得者への不当な風当たりを弱めるためにも、国会議員は率先して堂々と育休を取るべきだ」という意見にはなるほどその通りだと思わせる力があるし、「国会議員の重責を思えば、育休を取りたい気持ちは抑えて、国民に奉仕するべきだ」という見方にも、一定の説得力はある。

とすれば、両陣営が議論を深めることは、双方にとって望ましい展開だった。

ところが、議論は、当該の議員に「ゲス不倫」が発覚するや、突如、シャットダウンされた。
実にバカな話だ。
いや、心情的にはわかる。
でも、心情的にはともかく、育休の是非とそれを申請する人間の品格の高低は、議論のスジとして、まったく別の話だ。ここのところは切り分けて議論しなければいけない。
育休は、労働者の「権利」だ。「権利」である以上、あらゆる労働者に保障されていなければならない。
逆に言えば、すべての人間に与えられているのでなければ、それは「権利」と呼ぶことはできない。
今回のケースは、「権利」ということについて、良くない誤解を与える結果をもたらしている。すなわち「権利を行使するには、それなりの資格が必要だ」という誤った理解を世間に流布しているということだ。
今回のすったもんだを通じて、「育休議員」がヘタを打って、「議員の育休」という問題提起自体が、思い出すのも恥ずかしいお笑い種になってしまったことは、返す返すも残念な展開だ。おかげで、「育休」は、「すべての労働者に与えられた権利」であるという本来の意味を喪失して、「育休に値する労働者だけが育休を許される」という「条件給付」の地点に泥まみれで放置される結果となっている。
このままだと、「育休」は、労働者があらかじめ持っている「権利」ではなくて、雇用者からご褒美として給付される「温情」だという解釈が定着することになる。というよりも、すでにそうなっているのかもしれない。

「○○さんは、ふだんからあんなに頑張っているんだから、育休ぐらい取らせてあげようじゃないか」

と、職場の同僚の誰もがそう考える人だけが育休を取るのであれば、色々とうまく行くようにも見える。
でも、実際には、

「ふだんから他人の分まで余計に働いて頑張っている人」

は、普通に考えて

「いきなり休まれたら職場が大混乱に陥る非常に重要な同僚」

でもある。
つまり、職場的には、「休む資格のある人」は、同時に「休まれたら困る人」でもあるわけで、結局のところ「育児休暇」は、チョコレートがそうされたのと同じように、世間の「義理」のガバナンスに委ねられることになるはずなのである。

時期が時期なだけに義理チョコレートと関連づけられたコラムになりましたが、「温情」ではなく「権利」であることをちゃんと理解して考え、男性の育休の習慣が終息しないように行動しなければならないと思います。

 

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