私学の小学校に通わせて実感したこと
こんにちは。シンカ代表の手島です。
昨日のエントリで紹介した日経DUALのコラムに関連して、共感できた部分を自身の経験とあわせてみます。
私も妻も高校まで公立・共学という団塊ジュニアで育ちました。その夫婦が縁あって受験をし、6年間、長女が私立の小学校に通わせて感じたこと。まず最初はこの部分。
私自身の家庭はさておき、小学校のころからかなりの学費をかけて、地元の学校では考えられない登校手段と時間をかけて通うわけです。親子の関わり合いは初期の頃は必須です。子どもからみても「親は自分のことを気にかけてくれている。お金をかけててくれている。」と思うでしょうし、そんな親にあからさまに刃向うというようなことは少ないと思います。
子どもたち(娘のクラスメートたち)は「ウチは豊か」と鼻にかける子がいて気になることはありましたが、“荒(すさ)む”ようなお子さん、家庭は見ませんでした。総じて、外から見たら穏やかな家庭が多い気がしました。
「家庭環境がそろっている」はまさにその通りで、そういう環境を求めて私学を考えた自分にとって、この部分でいえば良い時間を過ごすことができたと感じています。
それが「世間の多様性を知る」ことにとってはマイナスである。という意見もわかります。ただ、余計な気遣いをしない環境で、ゆったりと伸び伸びと自我を育むことができたので、かつ娘はそんな中では恵まれてない家だと感じたようですし、今後いろんな場面で多様性を認める必要に迫られたとして、受容性を持ち合わせていると思えています。
何事も本人の、その家庭の関係だと言ってしまえば元も子もないのですが。
そしてこの文章のもう1つの指摘である、地域という面でいうと、地元との繋がりは、こちらから積極的に持とうとしないと薄れます。
もともと移ってきた土地で、地元のネットワークを持っていませんでした。ずっと夫婦共働きで、地域の行事にも関わりを持っていませんでした。娘の習い事の範囲程度です。
私はこれで良いと思っていますが、地域的なつながりを重視するのであれば、かなり積極的にアクションしないと難しいことは間違いありません。
このほかの話題はまた改めて。
小学生時代をどう過ごし中学受験をどう考えるか | Synca Blog
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