我が家の「ふつう」ってなんだろう
こんにちは。シンカ代表の手島です。
昨日の夕方、次女の小学校の保護者面談に行ってきました。
妻も仕事を休めたので夫婦揃っての参加だったのですが、学校へ着いて周りを見て、夫婦揃ってというのはごく少数です。子どもがどんな先生と過ごしているのか、先生の人となりを知るという意味でもぜひ父親も面談に行くべきだと私は思うのですが。
昨日もちょうどクラスで次女が関わる”事件”があったようで、先生から成り行きのお話しが聞けて良かったです。今後も出来る限り出向きたいと思っています。
面談が終わって帰宅をしたときは、子どもたちは習い事に出掛けていました。私が夕食の支度をしているところに次女が帰ってきました。
次女「お父さんも面談に行ってきたの?」
私「うん」
次女「ふつうはお母さんだけなのに。なんで?」
次女「それにさ、ウチはどうしてお父さんが食事を作るの?」「ふつうはお母さんでしょ?」
私「ふつうってなんだろうね。そういうことだと、ウチは”ふつうじゃない”ことが他にもあるよね?なんだろ」
次女「テレビがない!子ども部屋がない!ゲームがない!漫画がない!なんでDSがないの!?」
私「そうだね。そういうことを”ふつう”というのなら、ウチは”ふつう”じゃないね。
みんなが持っているからウチにもある…ということはウチにはまったく通用しないね」
これで「みんな持ってるから私も欲しい!」というのが親には通用しないということが次女の心に残ったでしょうか。欲しいものがあるときは違う作戦を立てないといけなくなりました。
この世間のふつうが我が家にとってのふつうではないこと。これは、多様性とか「みんな違ってみんないい」的な考えの実践になるのでしょうか。子どもたちにこういった多様性だったり自分の信念を通すことは難しくないってことを伝えているのでしょうか。
テレビを見ていないことは「お友達の輪に入れなくなる」というような懸念もあるにはありましたが、長女小6、次女小3までは乗り切れています。ふつうに家族のコミュニケーションとお互いの息づかいを感じたいための環境を作ろうとした結果なんですがね。
そんな我が家のふつうじゃないところについてはおいおい書き残したいとは思っています。