「マタハラ」から事の本質を考える
こんにちは。シンカ代表の手島です。
昨日の「マタハラ」のエントリの話題を続けます。昨日のニュースにこんなことが載ってました。
マタハラ防止へ法整備 女性活躍へ政府方針、理系進学を後押し
2015/6/24 0:04[有料会員限定]
とのことです。
マタハラという問題について、この記事のなかにある記述が気になりました。
誤解を招くことになるのを承知で言うと、経営者として「余剰人員がいる」「生産性の低い人たちが“だぶついて”いる」という課題があるとすると、妊娠・出産をキッカケとして仕事がこれまで通り出来ない、空白期間を作りたい、という人がいたら『無理に仕事しなくて良いよ。復帰しなくて良いよ』辞めてもらって構わない…という発想になることは自然だと思います。
マタハラの「解雇や退職の強要をやめなさい」ということにフォーカスすれば、生産性の低い年配の社員を解雇できないこと。本当に必要な人材でなければ解雇できること…の方面でも制度も整えていく必要があるのだと思います。
言い古されていることではありますが、妊娠・出産ということだけではなく、家族の介護・看病なども含めて、「長時間労働」出来ない人たちにどう価値を発揮してもらうか。そして、その表裏として、価値を発揮できない人を抱えなくて良い=適正に解雇できる、という両面での整備が絶対に必要です。
これは一朝一夕にはできることではなく、従業員側も会社側も考えを変えていかないといけません。
結局のところ、これからの社会で働くということは、その会社で求められる価値を発揮すること、会社に属さずとしても市場で求められるスキルと付加価値を身につけて出していくこと…そうでなければ会社から継続して雇ってもらえない…という覚悟を求められているんだなと、考えさせられました。