2月 15th, 2016
育休が義理にならないように
こんにちは。シンカ代表の手島です。
日経ビジネス誌に定期的に掲載されているコラムでも育休問題が取り上げられていました。
時事ネタを面白おかしく“斬る”長寿企画のもので、私も「なるほどね」と思う事もあれば「こじつけだ」と思う事も多いコラムですが、ここに育休の話題が取り上げられるほどになったという感慨が大きいです。
小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明
育休は権利か義理チョコか?
2016年2月12日(金)
このコラムは毎回ボリュームが多く、途中で読み進むのを辞めてしまう事もあるくらいです。今日のエントリが引用ばかりになってしまいますがご容赦ください。
個人的には、国会議員の育休に関しては、賛成する意見にも反対する意見にも、それぞれ、もっともな論拠があると思っている。「一般企業の育休取得者への不当な風当たりを弱めるためにも、国会議員は率先して堂々と育休を取るべきだ」という意見にはなるほどその通りだと思わせる力があるし、「国会議員の重責を思えば、育休を取りたい気持ちは抑えて、国民に奉仕するべきだ」という見方にも、一定の説得力はある。
とすれば、両陣営が議論を深めることは、双方にとって望ましい展開だった。
実にバカな話だ。
いや、心情的にはわかる。
逆に言えば、すべての人間に与えられているのでなければ、それは「権利」と呼ぶことはできない。
「○○さんは、ふだんからあんなに頑張っているんだから、育休ぐらい取らせてあげようじゃないか」
と、職場の同僚の誰もがそう考える人だけが育休を取るのであれば、色々とうまく行くようにも見える。
でも、実際には、
「ふだんから他人の分まで余計に働いて頑張っている人」
は、普通に考えて
「いきなり休まれたら職場が大混乱に陥る非常に重要な同僚」
でもある。
つまり、職場的には、「休む資格のある人」は、同時に「休まれたら困る人」でもあるわけで、結局のところ「育児休暇」は、チョコレートがそうされたのと同じように、世間の「義理」のガバナンスに委ねられることになるはずなのである。
時期が時期なだけに義理チョコレートと関連づけられたコラムになりましたが、「温情」ではなく「権利」であることをちゃんと理解して考え、男性の育休の習慣が終息しないように行動しなければならないと思います。