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代表 手島 プロフィール
手島 正陽
シンカ株式会社 代表取締役

小規模のシステム開発会社に勤務していた2007年4月〜2011年10月の4年半、「時短勤務」として3歳長女・0歳次女の2人の娘の保育園送り迎えと家事一切を経験。(妻はプロジェクトが忙しい時期は毎日終電で帰宅) ワーキングマザーの大変さをまざまざと知りました。

そしてまた、2015年4月からフルタイムで働きながら夕方の家事も全部行う…生活に再挑戦中。学童保育も卒所した娘2人と日々奮闘中です。

この経験から、「子育てはもっと便利にできるはず」 「子育て本来の"楽しさ””充実感”が得られないのは残念すぎる」 という思いで、シンカとして独立した後は、『働きながら子育てすることを頑張っている人の役に立ちたい』という思いで日々サービス化を模索中。

シンカという会社名には「親になる=親化」の当て字も期待しています。 子育ては、親自身が学び、育っていく過程だと思っています。 私自身が子どもたち、子どもたちと接した時間から教わったことを世の中に還元できれば嬉しいです。

ちなみに、世間で言われるのは「ワーク・ライフバランス」ですが 私たちは「ライフワークバランス」と呼びます。 これについては下記Blogエントリ参照のこと。
http://blog.synca-corp.co.jp/lifeworkbalance/life-work-balance/

‘教育’ タグ

「文系」「理系」で何を学ぶのか

こんにちは。シンカ代表の手島です。

昨日の朝日小学生新聞のトップ記事が
「文系」か、「理系か」どう考えればいいの?
という見出しでした。
image1

文部科学省は先月、国立大学に対して、文学部など文系の学部・大学院をもっと社会に必要とされる内容に変えるよう通知しました。国立大学に使われる税金を、利益などの出やすい分野に使うためです。

ということで、その概要を伝える記事でした。

「文系」「理系」にははっきりとした定義はありませんが、一般的には、大学での文系の学部は文学部、経済学部、法学部、社会学部、教育学部などです。理系は理学部、工学部、薬学部、農学部などです。

と続いていきます。小学生が将来何を学びたいか…を早くから考えることは良いことではありますが、果たしてこの記事を読んで子どもたちはどう思うのでしょうか。

なんでこんな記事が?と思ったのですが、先月、こんなニュースがあったんですね。

その学部、本当に必要? 全国立大に見直し通知、文科省
高浜行人2015年6月8日19時18分

「国立大、文系見直しを」 ニーズ踏まえ廃止・転換促す 文科省通知
2015年6月9日05時00分

今週7/29付けで日経新聞の社説にも取り上げられていました。

大学を衰弱させる「文系廃止」通知の非
2015/7/29付

しかしこんどの要請は「すぐに役に立たない分野は廃止を」と解釈できる不用意なものだ。文科省は大学界を混乱させている通知を撤回すべきである。

 かねて文科省は国立大に、旧態依然たる横並びから脱し、グローバル化や大学ごとの特色を出すための取り組みを求めてきた。その方向性自体は理解できる。

 しかし今回、人文社会科学だけを取り上げて「廃止」にまで踏み込んだのは明らかに行き過ぎである。文科省は「廃止」に力点は置いていないと釈明するが、大学側への強い威圧と受け止められても仕方があるまい。

なんか、”大人な事情”がいろいろあるようです。

私はまさに団塊ジュニアのどまんなかの世代で、だた通っただけ。何が身に付いたか?は非常に恥ずかしい4年間ではありました。

これからの大学、学び舎はそうであってはいけないと漠然と思っています。

今の子どもたち、これからの子どもたちが「大学で学びたい」と思い、そこで学んだことを社会に活かす、自身のキャリアに活かす、グローバルにフィールドを広げる…と期待と希望が持てる学校になってくれることを期待します。

 

孤高の人になる勇気

こんにちは。シンカ代表の手島です。

昨日取り上げた“デュアラー”の中学受験に関する記事の続編です。

2015.06.29
藤原和博 「私立に行けばいい教育が」という誤解
【特集/中学受験をしないという選択(2)】仕事で毎日戦うデュアラーはわざわざ中学受験競争に巻き込まれなくていい

学業、知能を高めるという点では藤原さんのこの意見には賛成です。

ここでいう「私立」とは、灘校みたいないわゆる本当のトップ校を除いた偏差値65くらいまでの学校のことですよ。
筑波大附属駒場、雙葉、女子学院なんかも高いレベルの教育を実践して、ユニークな人材を輩出していますね。こういった本当のトップ校に入るための受験なら挑む価値があると僕は思います。

明確な意義や目的もないままに中学受験に突入するのはあまりおすすめできません。なぜこれほど中学受験がブームかというと、親にとってわが子の中学受験というのは究極に「楽しい」からです。

 合格というゴールに向かって、かわいいわが子と二人三脚をする壮大なプロジェクト。特に専業主婦の場合には、自分の人生の成果を測る指標を実感しづらいために、親としてのレベルを確かめるかのようにのめり込んでしまう傾向が強いですね。

子のためを思ってやっていることは実は自分を認めたいがためにしていることになってしまっていやしないでしょうか。

さらに言えば、自分やパートナーの学歴やキャリアにコンプレックスがある場合には、それをわが子によって埋めようと“リベンジ受験”をしようと過剰な情熱を注いでしまう。こうなると、子どもは不幸です。不合格となったら「親の期待に応えられなかった」と自己否定するようになり、合格したらしたで「親の期待に応えられた」という経験が成功体験として刷り込まれ、社会人になっても親の期待に応え続けようとする連鎖が始まる。親子の過剰な密着や共依存関係の始まりです。

この言葉には驚きました。合格しても不合格でもどちらも不幸な道筋が書いてありました。受験そのものを目標としてしまってはダメなことがよくわかります。

学歴・受験という言葉を、習い事やスポーツ選手を目指す親子に当てはめても同じことが言えそうだと思いました。

共働きのDUAL読者ならば、親自身が評価を受ける軸は「仕事」で既にあるわけですよね。であれば、中学受験の結果によって親としてのレベルをはかる競争に、わざわざ巻き込まれるようなことはしないでいいんじゃないですか。仕事で毎日戦っているんだから、これ以上、戦う場所を増やしたたら戦線拡大、疲弊するだけでしょう。

まったくもってその通りです。疲弊するくらいならやらなくて良いです。

―― ただ、都心部では(一部のエリアですが)周りが過熱する中で「うちは受験しません!」と言い切るのはかなり勇気がいることでもあります。「どうして?」と質問攻めに遭うくらいならいいのですが、「受験もさせてもらえないなんて、かわいそうな子だね」なんて思われるのではないかという不安が…。

藤原 わかりますよ。一部のエリアで中学受験をしないと決めるには「孤高の人」になる、という勇気が親にも子にも必要ですね。それは簡単なことではないと思います。

「孤高の人」を貫くことは、これからの時代の稼ぐ力の本質につながる「ユニークネス(希少性)」とも一致するということ。「みんながやるから私もやる」では、世界で勝負できる人材には育たない。時代が求める力を俯瞰(ふかん)して考えてみれば、親にとっても納得できる選択をするヒントが見つかると思いますよ。

親自身の価値観、子どもと目指す成長の姿があって、その手段が受験だということだったら悪くはないですが、まず受験ありきではないということを肝に銘じたいです。

中学受験ということだけではなく

こんにちは。シンカ代表の手島です。

日経DUALにあった、働きの中学受験についての記事です。

藤原和博 中学受験すると「稼ぐ人」になれるのか?
【特集/中学受験をしないという選択(1)】子どもに必要なのは情報編集力とユニークネス

おっしゃっていることはほぼ賛成な内容です。これからの時代、社会からは何を求められ、自分自身が何をアウトプットしないと行けないのかを良く考えないといけません。

たった一つの正解なんてどこにもなく、答えを自分で作りださないといけない時代。
「頭の回転の速さ」ではなく「頭の柔らかさ」が問われる世界へ変わった。
玩具に例えて言うなら、あらかじめ決められた絵柄と同じ絵柄を組み立てる「ジグソーパズル型」の能力から、見本がない中で自分がいいと思う形をクリエイトする「レゴブロック型」の能力が求められるようになったんです。

この例えはわかりやすいなと思いました。私も今後使いたいです。

戦後の高度成長経済においては、国民みんなが欲しいのが家電の三種の神器で、みんなが求めるものを安く大量に作って売る、という“正解”が明らかだった。その正解を疑うことよりも、早く見つけることに価値が置かれ、情報処理型の能力が重宝された。偏差値という縦軸で学力が測られ、高校時の成績レベルで就職の階層まで決まっていく一元的な学力主義が、社会が求める力に合っていたんです。

まさにそうですね。私の30-20年前に経験した受験勉強のころが思い出されます。自分を形作ってくれて血となり骨となったとは思いますが、では”本当にそれで良かったのか?””役に立っているか”は少々疑問です。

より重要度を増しているのが「つなげる力」です。自分の脳内の処理能力だけで正解を当てるのではなく、他者の脳とつながりながら、知恵や特技を出し合って、相乗効果を生むようなコミュニケーション能力。
自分とは価値観の違う多様な人々と、いかにうまくコラボできるか。こういった「つなげる力」を育てる教育は、旧式の情報処理型教育ではほとんどできていなかった。これからは、たくさんの情報の中から必要な要素をピックアップして、他者とつながりながら価値のある形に加工していく“情報編集型教育”が必須です。

我が家は、小学校受験を経て中学受験は世間一般が目指すものは必要ない状況ですが、今後、子どもにどうなってもらいたいかということは常に考えておかなければいけないと再認識しました。

北本市の給食費未払い対応のニュース

こんにちは。シンカ代表の手島です。

ちょっと前のニュースですが、こんな話題がありました。みなさんはどう思いますか?
給食停止、やり過ぎか 埼玉・北本市「未納なら弁当を」
朝日新聞デジタル 2015年7月4日05時16分

朝日新聞のネットは会員登録(無料ですが)しないと全文みられないので引用を多めにしますことをご容赦ください。

学校給食費の未納が3カ月間続いたら、7月から給食の提供を停止します。その間は弁当を持参させてください――。埼玉県北本市の中学校が6月、保護者に通知を出したところ該当する43人全員が納付するか、納める意思を示した。学校のやり方に「ほかの家庭は払っているのだから当然だ」という声があがる一方で、「親の責任を子どもにおしつけるのはやり過ぎだ」との声もあがる。
未納家庭の生徒への給食停止を決めたのは、北本市に四つある全市立中学校。生徒1人あたり月4500円の給食費の滞納総額は、4~6月分だけで約180万円(一部未納も含む)に上る。
 同市は、給食費の管理を各校に任せる「私会計」方式をとる。未納の家庭に担任教諭が訪問し、生活が苦しければ給食費などが支給される就学援助の仕組みを説明したり、「一部だけでも納めて」と求めたりしてきた。それでも応じない未納の43人について、学校は「払えるのに払わない」事例だと判断した
 通知後、市教委には20件近い意見が寄せられた。ほとんどが「支払うのが当然だ」と理解を示す声だったという。だが、市内の中学2年生女子の母親(46)は「子どもに罪はないのに、親の責任を押しつけるようで、やり過ぎだ」と話す。

多様性の世の中だというのであれば「給食費が払えない家庭がある」ということを学ぶのも多様性の社会だと思います。でも、日本の「みんな横並び(で平均水準を得る)」という空気ではなかなか難しいでしょう。

今回登場する北本市では援助の仕組みを説明していたということ、その後はすぐに払った、払う意志を示したということですので、親のモラルということなのでしょうか。こういう環境で育った子が大人になって…すでに小学校を卒業するまでの人生経験を積んで、どういう成人になるのか、とても不安を覚えます。

記事の最後に識者のコメントが載っていました。

■懲罰的対応ではなく支援を

《鳫(がん)咲子・跡見学園女子大准教授(行政学)の話》 生活保護や就学援助を申請していないからといって「支払い能力がある」と考えるのは短絡的だ。援助を申請できない事情を抱える保護者もいる。滞納を続ける家庭は、子どもが育つ環境として何らかのリスクがある可能性がある。学校や行政は懲罰的な対応ではなく、滞納を福祉による支援が必要なシグナルととらえる必要がある。

■保護者と信頼関係築く必要

《教育評論家の尾木直樹さんの話》 公立中学校の教員だった経験から、子育ての能力や責任感に欠けるなど様々な保護者がいるのは分かる。ただ、どんな親や子どもにも、きちんと対応していくのが公立学校だ。教員は部活などに費やす時間が長すぎて、保護者と十分なコミュニケーションをとって信頼関係を築けていない。十分な対応ができるようにするためには、働き方も見直すべきだ。

こんなことまで先生が対応しているんですね。「尾木ママ」のコメントも紹介されていますが、この領域も先生の先生としての仕事だというのなら、教員の削減とか、かかる予算の削減なんてしてはいけないと思います。

子は社会の宝、未来の日本の経済を支えてもらうためのリソースだという気持ちがあるのなrあ、税金の使い方を考え直し、特に社会保障費をもっと積まないといけないということなんですね。

これまでの文脈とまったく違いますが、安全保障などに使っている場合ではないですし、国立競技場に何千億円も使ってる場合ではないのではと思ってしまいました…。

親が子に伝えるべきこと

こんにちは。シンカ代表の手島です。

金曜日の日経新聞の夕刊のスポーツ欄にある三浦豪太さんのコラムにあった、こんな言葉が素敵でした。

三浦豪太 探検学校
室伏親子の情熱と知性
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今回のコラムは三浦さん親子(親は高齢でのエベレスト登頂で有名な三浦雄太郎さん)とハンマー投げの室伏親子の会食のときの会話にまつわるものだったのですが

息子の広治選手もユニークな着眼点と練習方法で知られるが、このルーツは父にあったのだなと思った。その広治選手は記録こそ父を抜いたが、いまだに父に追いついていないという。その真意を尋ねたところ、「父は自分の記録を超える選手を育てたからです」と話した。

いろいろ意見を述べたいのですが、すべてチープに、空虚になってしまいそうなので控えます。

室伏さん親子は明確に言葉では言っていないのでしょう。親の情熱をみて子も努力をし、そして辿り着いた今、そういう境地にいる。『自分を超える人材を育てる』って、企業の組織論・リーダーシップ論はもちろんですが、家族・親子でもそうだよなと感心しました。

保育園のあとの塾・お教室

こんにちは。シンカ代表の手島です。

昨日の日経新聞の夕刊に習い事の記事がありました。

幼児教室はアフター6
働くママの教育熱過剰?

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働くママにとって習い事通いは子どもを任せ、夕食の準備に充てる「時間稼ぎ」になる。

とのこと。このことは私も実感としてよくわかります。でも、小学校に上がる前に、保育園のあとに習い事…はどうかなと個人的には思います。

ある公文の教室の例が紹介されていますが

通常は午後7時終了だが、忙しい母親に配慮して週2日は午後8時半まで教室を開くようにした。「最近の仕事を持つお母さんたちは、子どもの教育に非常に熱心なのが目立つ」

だそうです。この他、平日は午後6時以降に講座を開かないと生徒が集まらない…という幼児教室や学習塾のコメントが紹介されています。

通常、フルタイムで働く母親は午後5時から6時頃に仕事を終え、保育園や託児所に子どもを迎えに行ってから教室に来る。晩ご飯の買い物、準備、掃除や洗濯をこなそうとすると、この習い事に通う午後6時から8時はゴールデンタイムだ。子どもを教室に任せ、集中して家事に取り組める上、小さいうちから学習をさせたいという思いがつながり、一石二鳥だとして遅い時間の教室通いにつながっているようだ。
 夕食は習い事が終わり、帰宅してからになってしまう。それでも働くママは「子どもの学習時間中にいったん帰宅し、夕食をつくって風呂を用意してから迎えに来る。自由が利いて助かる」と口をそろえる。

でも思うんです。中学受験からならまだしも、未就学の間からここまで頑張る必要があるのかな…と。疑問を呈するコメントも紹介されていました。

 子どもの発達と生活リズムの関係に詳しい和洋女子大学の鈴木みゆき教授は幼児・低学年児童への教育を否定はしないとした上で「小学校入学前の子に日没後に教室通いさせるのはお勧めしない」と話す。 昼間からの興奮が続いているため、夕方以降は疲れた身体の休息が必要だという。園で過ごす時間が長い保育園児は特に「本来は家でゆっくりすることが大切」。

 また幼児期は知識を教えこむより、親子で一緒に体験・遊ぶことが知的好奇心を高める。鈴木教授は「生活の時間を削ってまで学習をさせることで『あとのび力』が育つのか。よく考えてほしい」と助言する。

小さいうちは、親子で一緒の時間で気づくもの、築くもののほうが、後々の人生が豊かになるのではないかなと思っています。

子どもと進学にかかる“投資”

こんにちは。シンカ代表の手島です。

子どもの進学、特に大学進学について、日経新聞の経済トピックス欄に載ってました。

エコノ探偵団 教育費は投資になる?
進学、子供に見返り大きく

文部科学省と日本政策金融公庫の調査をもとに、子ども1人を幼稚園から大学まで進学させる費用の総額を計算すると、すべて国公立なら約1千万円で、すべて私立だと約2400万円だ。

我が家は、長女が小学校から大学まで繋がっている私立です…。ほぼこの通りなのでしょうか。
でも今日の記事はすごく違和感だらけでした。子どもに投資をする、お金をかけることをどう思うかということについての、この記事の言葉の端々です。

「でも将来は子どもに頼れますよね」と明日香が言うと野尻さんは首を振った。「退職者8千人に聞いたところ、老後を子どもに頼ると答えた人はわずか1%未満です」

子どもが親の面倒を見てくれると思っている?私はそんなこと思ったことありませんでした。
いまの子育て世代の人たちの実感は同じだと思いたいですが、いかがでしょうか。
私たちの親は、これから子どもが(金銭的に)面倒見てくれると思っているのでしょうか?

「大卒の男性は高卒より生涯賃金が7千万円ほど上がります。この賃金差が収益です。
「不況が長引いた中で、大学に進学しないリスクが大きくなりました」

本当ですか?誰でも入れる全入時代に、本当に大学に進学しないリスクがあるのでしょうか。
社会に出ても身に付くものを得られない大学生活だったら行かない方が良くて、はやく社会人としてのスキル、実践を積める方が良いというのが私の実感です。

議論は別観点にはなりますが、“天才プログラマー”なんて言われるような少年少女が学歴関係なく起業したり、世にサービスを出して対価を得るような世の中になることのほうが大事で、よっぽどイノベーティブだと思います。

かたや記事の後段でこんな記述も

大学で学んだ内容が直接仕事に役立つことは少ない。また論理的思考力や問題解決力は仕事の現場で鍛えられる部分も大きい。

それなのに大学で学ぶってなんですか?何を学ぶのでしょうか。
大学卒というラベルを得たところで、生涯賃金は平均的には高いのでしょうが、平均を下げる層に入ってしまったら目も当てられないと思っています。

今回の記事、いったい何が言いたいんだ?かなり疑問符なことが多かったです。

子どもの教育にかかるお金は多くなります。ちゃんとそれぞれの価値観に照らして妥当かどうかを考えたいです。

教育ICTオールジャパン?

こんにちは。シンカ代表の手島です。

日経新聞の月曜日の紙面は中程に「教育」というページがあり、主に学校教育に関する識者のコラム(記事)が載ります。

今日は、ICT機器(ようはコンピューター)の現場への影響にまつわる話題でした。

ICTが変える学び 子供の手で「知」獲得
赤堀侃司 白鴎大学教授 [有料会員限定]

2月2日、東京・新橋の電通ホールで「ICT CONNECT21(みらいのまなび共創会議)」の設立発表会が開かれ、私が初代会長に就任した。
「教育ICTオールジャパン協議会」と捉えるとわかりやすい。新団体の発足にあたって、教育ICTが目指す姿や背景について述べてみたい。

だそうです。この方の主張は記事に譲りますが、驚いたことは次の言葉

これからの日本が厳しい状況に置かれることは、誰もが知っている。今の小中学生は果たして年金を受給できるのか、少子化が進んで地域は生き残れるのか、いつ噴火するとも知れない火山や、いつ巨大地震が来るかもしれない自然災害の不安や、緊張感が続く国際関係の中で日本はどう生き残れるのか。誰もが難問が山積することを知っている。

子どもたちは「年金が受け取れるのか」を考えながら学習しないといけないのか?と思うととても気が重たくなります。こういう状況にしてしまった今の大人たちが本気で変わらなきゃならないのではないでしょうか。

デジタル環境は、善でもなければ悪でもなく、光でも影でもない。それ自身に価値はなく、光にするのか、影にするのかは専ら使い方による。

この考え方は賛成します。

そんなに子供がアクセスしたいなら、子供の知的好奇心をさらに高めて、優れた教材を用意しよう、デジタル環境が持つ良さを積極的に伸ばそうというのが、欧米の考えであり、影や悪が生まれないように予防しようと考るのが日本である。

その通りですね。「石橋を叩いて渡らない」のが日本な気がします。

今の大人にできることは、主体的に学び問題を解決する能力を教育の中で身に付けるように支援することである。日本の未来を子供たちに託すのである。
その子供たちは、受け身で知識を覚えるだけでなく、自らがデジタル環境にアクセスし、協同で解決策を見いだし、知識を創出していかなければならない。

こうやってこの言葉だけ取り出すと、結局は子どもたちに「あとはお前たち頑張れ」って言ってるようにしか思えず…。すっきりしないです。

このコラムの「編集後記」のような感じで、日経記者の言葉がありました。全文引用させてください。

知識注入型から脱却の力秘める[有料会員限定]

知識注入型の教育から、思考力や応用力を育む教育への転換――。日本の教育が直面する最大の課題であり、かつ長年、模索しながら、いまだ実現できないテーマだ。 ICTの登場で、社会は様変わりした。人々はネット端末を持ち歩き、いつでもどこでも、世界中の人々や情報とつながることができる。オフィスの光景も一変した。にもかかわらず、学校の教室だけは、明治以来、あまり大きな変化がない。 ICTは社会を変えたように教育も抜本から変えるパワーを秘めている。懸案の知識偏重型教育からの脱却にも道が開けるだろう。だが、導入のテンポはあまりに遅い。

子育てならびに、男性偏重の長時間労働の勤務にも通ずるものがあると思いました。
指をくわえてみてるだけではいけないのですが…。思いやられます。

伊勢丹新宿店「cocoiku(ココイク)」

こんにちは。シンカ代表の手島です。

この週末に、新宿の伊勢丹に出掛けることがありました。

ずっと工事をしている子供服フロアが徐々に新しい顔を見せてきています。その一環として“教育プログラム”も行われるようです。

【参考ニュース】
伊勢丹新宿本店で未就学児向け教育サービス 三越伊勢丹
伊勢丹新宿本店、未就学児向け教室 来春から

その先行リリースが「mini」クラスとしてはじまるようで、店頭にはリーフレットが置かれていました。

三越伊勢丹ホールディングスのサイトにあるプレスリリースをリンクします。

2015年春、「世界最高のファッションミュージアム」をめざす伊勢丹新宿本店は、ベ ビー子供フロアをリモデルグランドオープンいたします。そのコンセプトは、『子育てのす べてのシーンのなかで、世界最高のモノとコトをご提案し、「世界に通用する大人」にな るための子育て支援をいたします』。伊勢丹新宿本店は、その考えに基づき、子どもた ちにとって、家庭とも学校とも学童保育などとも違う場所を創ります。そこは、スピード感 溢れる情報社会において、最新のメディアに対応し、時代と響き合うためのプログラム を備えた、いわば「4th Place 」。知識の蓄積というこれまでの学びではなく、生み出す 力、創り出す力を育む場所です。

常に時代の最先端に立ち、ありたい未来の実現に向けて貢献できる人間を育てること。常識や知識の先にある、 知恵と生きる力を育むこと。そして、あたらしいライフスタイルを創造し続けること。ここで体験を重ねた子どもたちが、 社会の未来を、世界の未来をきっと変えていく。伊勢丹新宿本店がご提案するあたらしい学びの場、「cocoiku (ココイク)」にご期待ください。

「ありたい未来の実現に向けて」の人材育成という言葉はまったくもって賛成です。今の子どもたち、これからの子どもたちの学びとは、与えられて覚えるだけということではなく、いろんな状況においても前向きに打開する“生きるチカラ”が求められることに異論はありません。

新宿伊勢丹の子供服フロアで子どもに買ってあげられるご家族(両親だけということではなく、親戚含めて)に向けたメッセージとしては伝わるでしょう。特に高価格で高付加価値というところが認められる場所ですから需要もぜったいにあります。

子どもに対してお金を持っている家族から“儲けよう”としての取組みではなく、宣言されている様に人材育成がメインであることを大いに期待しつつ、推移を注視したいと思います。

 

ドワンゴ川上会長「だから僕、絶対子どもにスマホなんか与えないですよ。」

ビジネス雑誌のサイトにKADOKAWAドワンゴの川上会長の記事がありました。

ドワンゴ川上会長、「非リアは脳の問題です」
「ネットが生んだ文化」とは何か

ネット時代に紙のメディアと統合していく道を選んだ人がどういうことを考えているのかを知るのに良いキッカケになる記事だと思いました。

この中で、彼が子どもに対してどう接したいかを述べている箇所がありました。

川上:(中略)いずれにしろコミュニケーションに使う脳の領域を制限し、その分、特定の趣味に関して使ったりするわけです。根本的な原因は、やはり脳だと思っています。

山田: 脳の使い方はコントロールできるんでしょうか。

川上: いや、無理でしょう。だから僕、絶対子どもにスマホなんか与えないですよ。テレビも絶対に見せないですよ。絶対バカになるに決まっています。脳は有限なんだから、絶対にダメですよ。

脳は有限だから、スマホ(のネットやゲーム)やテレビは見せずに育てたいそうです。
脳は有限だから、無駄な情報で浪費したくない…ということだそうです。

このフレーズを聞いて、我が家にはTVがありません。子どもにスマホも持たせていません。彼の言う有限の脳をあまり酷使しない環境ということができそうです。

じゃあ何か優れているか!?はすぐに答えがでるものではなく、大人になって行く過程でどうなるのか。テレビとスマホに因果関係を直結させることはできませんが、興味深いです。

個人情報保護方針